ポール・マッカートニー アウト・ゼアー ジャパン・ツアー2015 鑑賞に伴う自分の音楽史振返り

※本記事はこれまた別の発散したブログに書いていた記事をこちらに移設したものとなります。その為掲載時期は2017年9月27日ですが実際にこれを書いたのは2015年7月20日のことです。

2015年4月25日、念願だったポール・マッカートニーのコンサート「ポール・マッカートニー アウト・ゼアー ジャパン・ツアー2015」を鑑賞してきた。
本当に様々な思いがあるなかの待ちわびたライブのため、自分の人生の音楽史を振り返りかつ適当にどうでもいいことも含み、この気持ちををブログに残しておこうと思った次第でありました。
ちなみに全アーティスト様には尊敬と畏怖の念を持ち合わせているもののこちらでは敬称略でいかせて頂きます。

私は音楽を聴くようになったのがどちらかというと遅い方だったと思う。
きちんと音楽を聴いたという最も古い記憶と言えば恐らく幼稚園児の頃だ。自宅に置いてあった小さなラジカセで「あばれはっちゃく」や、「デンジマン」、「宇宙戦艦ヤマト」等、当時テレビで放送されていた曲を色々集めたシリーズを聴いていた。
まぁ、かなりのオッサンということになります。。
ただ、これで音楽にハマることは全くなく(まぁ、4・5歳くらいでしょうし)、その後はきっと身近にかかってた曲を適当に聞き流す程度だったといった感じであった。
小学生くらいの時には、私の周りの友人は松田聖子だ光GENJIだと曲を聞いていたっぽいのであるが私は全く興味を示さなかった。

音楽を聞いて初めて自分の脳天にカミナリが落ちたのが、確か中学1年の時だったと思うけど、同い年で男の従兄弟からもらった1本のカセットテープ※1に入った曲を聴いた時だった。
(※1:1980年代、当時利用されていたメディアはほぼ100%カセットテープだった。)
ザ・ブルーハーツの曲が3曲、「リンダリンダ」、「僕はここにたっているよ」、「キスしてほしい」、が納められていたのである。
当時自宅には、その頃大流行していたステレオデッキ、コンポなるものが自宅に購入されて間もない頃だった。
大型のスピーカーから流れるリンダリンダを聴いた途端にとんでもない衝撃を受け、それまでまともに音楽など聴いたこともなかった少年(自分)がとにかく同じ曲をそれこそテープが擦りきれるほど延々と狂ったように聞きまくったのである。
また爆音で聴くのがたまらなくよくて何度も親からはうるさすぎると怒られたほどだった。
当時一軒家に住んでいたとはいうものの、住宅地だったことから近隣との距離は非常に近く、近所の方にはきっと迷惑もかけていた事だろうと思う。
それからそのままブルーハーツにはまり、また兄の影響もあって長渕剛を聴くようになった。これもブルーハーツほどではないにしろ、巡恋歌という曲に衝撃をうけてハマっていったのだ。

ちなみにリンダリンダを聴いたときは本当に脳にカミナリが落ちたような衝撃を受けたため、自分の中で同じような感覚を覚えた時に「脳にカミナリが落ちる」といった表現がこのころを機に少しずつ出来上がっていったのである。
この頃から僕はいい曲というものはこんなに何度も聞きたくなるものなのだということが分かり始め、少しずつ音楽を聴いていくようになったのである。

さて長渕剛にはまりしばらく後、兄が高校2年で私が中学3年の頃だったと思うが、兄が組んでいたバンドメンバーがバンド練習の帰りだったか何かで自宅に立ち寄った。そしてその中の1名がアコースティックギターを持ってやってきたのである。
今までまともに楽器の演奏を見たことも無い私の両親や私を気遣ってだろうと思うが、せっかくギターを持っているのだからという兄のリクエストによりなんと私の家族+友人複数名の前で、アコースティック+首から下げたハーモニカによる「巡恋歌」という長渕剛の曲を本気の声量で歌いきったのである。
これにはまた本気で衝撃を受けた。
間違いなく僕の脳にはカミナリが落ちていてたぶん鳥肌がたってポカーンとしていたと記憶している。
そして私もあっという間にアコースティックギターをやり始め長渕剛の曲を練習しだしたのである。

当時から今まで変わってないのが好きな曲ができれば当分の間はほとんど同じ曲、または同じアーティストの曲しか聴かないということだった。ただ、ブルーハーツ始めお気に入りの曲は自分の中に殿堂入りされ、そういう曲はその時ハマっている曲に加え頻繁に聴くのである。
殿堂入り以外を除いて、このころの私は長渕剛+はやりの曲をごくまれに聴くという程度だったと思う。
平たく言えば好きな曲以外は聴かないのである。

次に衝撃を受けたのが、BON JOVI(ボン・ジョヴィ)のRUNAWAY (邦題:夜明けのランナウェイ)である。同じく中学3年時。
これも兄が組んでいたバンドがコピーしていた曲だった。
今やってる曲がこれだよと渡されたCD (このころはCD がすでに普及していた)、
♪「テテテ テテテ テテテ テテテ テテテテ」
と始まるイントロに「ジャジャッ!」っとドラム、ベース、ギターのカットイン。
「on the street where 」からの歌い出し「oh she’s a little runaway 」のサビ。
おそらく自分の人生でこれを越える衝撃はもうないだろうと思うほどの出合いで、とんでもないカミナリが当時の私の脳に落ちたのである。それから狂ったように毎日その曲しか聴かなくなった。
ちなみにこの曲は私の人生で最高の1曲で、私の現在に至るまでの音楽的志向、もっと言えば人生そのものはこの一曲をもって完全に決められたと言っても過言ではない。
今でも事あるごとに聴くほど超超大好きな曲である。

さて大好きな曲を兄のバンドかコピーしているのだから1度はスタジオに練習を聴きに行くというのは自然の流れだった。
何気なく「見に来る~?」と兄に誘われ、「うん行く行くー」と言った軽いノリでスタジオに向かう。現場では初めてみる機材に興味津々で「なんか、バンドってすげーなー」といった気持ちになった。

さてそんな中ボン・ジョヴィのランナウェイの演奏が始まったのである。
それまで1度もライブを見に行った事の無い私の脳にはまた目玉が飛び出るほどのとんでもないカミナリが落ちた。
耳をつんざくような爆音に生演奏の迫力。また、当時高校生だったにも関わらず(今思い返しても)兄たちの演奏はやたらうまかったのである。その後も次々とと繰り出されるボン・ジョヴィの(コピーだけど)生演奏を聴いて
「なんだこれは?」
という得たいの知れない感情になっていたと記憶している。

非常に衝撃を受けた私が同じくボン・ジョヴィのコピーを始めるまでにそれほど時間はかからなかった。
フェルナンデスというメーカーのテレキャスといわれるタイプのギターに、BOSS のコンプレッションサスティナー、ディストーション、ディジタルディレイなど言われるエフェクター(ギターの音色を変える機材)をそろえ、それこそご飯を食べる暇もなく、勉強なんか全くする事なくこれでもかというくらいエレキギターの練習に励んだのた。
もちろん聴くのは毎日ランナウェイ。それに加えボン・ジョヴィの曲を聞きまくった。
高校受験を控えていながらボンジョビやギターの練習に明け暮れるものの、当時そこそこ優等生だった私はなんとか希望の高校へ進学を果たした。
高校では絶対にバンドを組もうと心に誓ったのである。

ちなみに、このころアメリカ旅行のお土産にもらったボン・ジョヴィのライブビデオのテープ※2を観たのだが英語で彼らが何を話しているか全くわからなかった。
(※2:現地アメリカで市販されていたライブビデオのビデオテープ。現在のDVDと違って、リージョンなど存在せず、日本国内のビデオデッキで普通に再生可能だった。)
この時に影響をうけのちに海外の大学に行き、現地で仕事をするきっかけを作ったのである。
そう考えるとこのころからすでに、私の今の人生に色々繋がっているなとおもった。
この時高校1年の頃である。
相変わらずボン・ジョヴィの曲を聞きながらバンドも結成し、通っていた高校の学園祭では1年生で唯一自分のバンドだげがライブ演奏会に参加することができた。

ギターやバンドをやっていればビートルズの曲に出会うのは必然と言えましょう。私が人生で始めてビートルズの音楽に出会ったのはこの頃である。
いや、正確な記憶は無いにしろ、間違いなくそれ以前にビートルズの名前は知っていたはずだし、そこかしこでビートルズの曲は耳にしてきたであろう。(小さい頃にみていた ひらけ!ポンキッキ  等でもビートルズの曲が多用されていたが、それもこれもあれもビートルズの曲だったのか!と気づくのには少し時間が経った後だった)
しかし、それまでは自ら意思を持ってしっかりと彼らの曲を聴くことがなかったのである。
当時、私がビートルズに対し漠然と持っていたイメージはこうである。
ビートルズはなんか曲がめちゃ多いしマニアが多いし、難しいイメージがあるし、曲調古いし(これは当時の印象で、今ではビートルズの曲は現代でも全く色褪せていないと感じている。)、正直少しめんどくさい。
というようなものだった。
そう、なんだがめんどくさいというのがすごくピンとくる表現だ。
そんな理由からいつかはと思いつつもこの時までなんとなく避け続けてきたのである。

そんな中バンドメンバーの1人が「バンドマンならビートルズは絶対に聴いておかなければならない!」と1枚のアルバムを貸してくれたのである。パストマスターズ。私が初めてしっかりとしたビートルズの曲に触れた瞬間であった。
しかし、難しいしよくわからないからと乗り気じゃない私に当時の友人は「パストマスターズだけおさえとけば、ビートルズはいいから!」というようなことをいっていたのである。
まあ、それだけならいいかと思い聴くことにしたのだった。

すこし聴き込んでから感じたのは正直、普通といった印象だった。
それでも噛み締めればその良さを感じられるかもしれないと頑張ってさらに聴き込んだのである。
しかしその思いはそれほど変わらなかった。
とは言いつつもやはり聴いたことのある曲がいくつもあった事もあり、アコースティックやエレキで少しは弾けるように練習した。
歌も頑張って歌って。音楽の授業の発表ではヘイジュードを演奏したりした。
結局その後はいくつかパストマスターズ以外のアルバムに手を出すも、そこからしばらくビートルズとは少しずつ遠ざかっていったのである。
その後ビートルズは聞き込むというよりは車のなかや、自分の部屋で作業しているときに後ろでなんとなくかかっている曲。そんな位置に定着していった。
ただ好きな曲ばかり聴く私にとっていつしかビートルズは聴かない曲となり、ほぼ最近までその他の曲に私の人生を支配されていったのである。

なんの話しだっけ。。。
ポールマッカートニーのコンサートの話しか、、、。
間をすっ飛ばしてそこに行き着くまでもう少し別の話を、、、。

ビートルズを本格的に聞くようになったのは実はまだごく最近の事だ。(2015年現在)
ある人から影響をうけて久々にしっかりと聴くようになった。
久々にしっかりと聞いてみると高校当時とは驚くほど違った印象を受けた。
知っているはずの曲もものすごい発見があったり、英語が分かる今になってこその理解というものもあった。
私は大人になってからカミナリが落ちる事がすごく減っていた。
きっと皆そうではないかと思うがそれは様々な事を経験し大方色々なことも予測がついたり、またよくわからないけどいろいろな意味で純粋な気持ちを失ってしまったりだとかもあるとおもうが、きっとつまらない大人になってしまった為なのだろうと考えたりもした。

だが、しかし今回ビートルズを聴いたは私の脳に久々カミナリが落ちたのだ。
a day in the life という曲と、with  a little help from my friend の2曲を聴いた時だった。
前者は曲の構成やジョンやポールのパート分けまた全体のイメージがあまりにも壮大だったからだ。
後者は過去にボン・ジョヴィがこの曲をカバーしたものを何度も何度も聴いていた為である。
このころから一気にビートルズの曲を聴きあさった。
自分のなかで超一大ブームがやって来たのである。
私が高校の頃にはあまり発達していなかったインターネットでビートルズについてや、その背景、また曲ごとの解説等を読み漁った。これは本当にありがたいと思った。
いろいろな事を調べ、背景などもわかってくると聴いている曲もさらに趣、深みが増すではないか。
この頃から現在に至るまで相当なビートルズ漬けの日々を送っている。
今現在もしかすると日本で最もビートルズを聞いている人間ではないかと思うくらい毎日毎日曲を聴きまくり、歌詞を読み解説を読んだりしている。

ビートルズの良さが分かる理由を、うまく言えないけど、自分がそれなりの人生を歩いてきたからなのではないだろうか感じた。
いや、きっとそうだ。
(これは、私自身に当てはまることであり、一般的に大人にしかビートルズが理解できないという意味ではありません。)

だから高校生の自分にはまだその良さはわからなくて当然なのだろうと思う。
誤解無いよう付け加えさせていただくと、ビートルズの名曲はいつ誰が聴いても素晴らしいと感じるものだと思う。
ただそれ以上の深み、カミナリが落ちるような衝撃を受けるほど高校生当時の自分にはそのうつわが出来上がっていなかったのだ

この辺りからポールの話。
そんな折、2014年5月、ポールマッカートニーが来日すると同僚から聴いた。
私はビートルズには興味はあったがポールのソロにはあまり興味を見いだせないでいた。
今思えばその頃はまだまだビートルズにいっぱいでポールマッカートニーまで手を伸ばす余裕がなかったのだと思うが、その時は何事も思う事なくポールの来日に関してはスルーしたのである。
しかし事件が起こった。
2014年5月の来日はポールが体調を崩しコンサートすべてキャンセルされたのだ。
ビートルズファンとしてはとても残念だったが、その時もし次に日本に来ることがあれば是非ともいってみたいなとも思ったのだ。

それからしばらくして目にしたポールマッカートニー再来日及びコンサートチケットwebでの最速先行予約の記事だ。
その記事を目にしたのはいつの頃か覚えていないけど、実はその頃には既にポールの曲の有名どころはすべて聞き込み歌えるくらいにまでなっていた。
ビートルズを聴きあさっていた私には必然の流れだったのかもしれないが、興味は自然とポールマッカートニーへ向いていたのである。
しかし実を言うとポールの曲を色々聴いたなかでも自分にカミナリが落ちると言うことほどではなかった。
それでも聞き込めば聞き込むほどその良がじわじわと自分の音楽嗜好とマッチし本当に毎日これでもかというほどポール漬けにもなっていったのだ。

そんな状況だったため、ポール再来日には胸が高鳴った。
もちろん何もためらう事なく早速webにて申し込み、席は迷うこと無くS席とした。
抽選発表は2015年2月14日のバレンタインデー。素敵なプレゼントが届くことを願っていた。
ドキドキしながら迎えた2月14日。結果は当選。よっしゃー!と大人気なく大喜びしたものである。
それからはさらにポールの曲を聞き込み、また過去のセットリスト※3や当日のセットリスト予想等を調べ、本番にどんな曲がきたとしてもすべて歌えるよう準備していったのである。
(※3 セットリスト:演奏する曲の一覧を順番に記した文書の事)

さて迎える2015年4月25日待ちに待ったこの日が訪れた。
普段から仕事で東京はよく知っているものの早めに名古屋を出発。
少し東京でウダウダして時間を潰す。
開場16時30分、開演18時30分の予定で、東京ドームに到着したのはは16時くらい。
しかしこの時まだ練習?サウンドチェックって言うの?が行われておりドーム内からは音がガンガン漏れている様子だった。
結局開演したのは19時20分ごろだと思う。

ビートルズのEight days a week から始まったライブは本当にあっという間だった。
ライブの一曲目はいつも必ずそうなのだけど、オープニング時にものすごい鳥肌がたって大人げなく久々にどうしようもない位テンションがあがった。本気で絶叫したかったけど恥ずかしさもありぐっとこらえたのだ(笑)。
知らない曲は Hope for the Futureという曲一曲のみ。それ以外はどれも自分にとってとんでもなく神みたいな曲のオンパレードだった。
有名なナンバーは惜しげもなくこれでもかと披露された。
ただただ圧倒されてボーッとする自分がそこにいて、夢のような3時間はあっという間にたちすべてが終わった時にはなんか、収まらない興奮に加え、自分にとってのとてつもない大きなイベントが終わってしまったという寂しさ、明日から迎える日常の中にいる自分というちっぽけな存在。言葉にはできないような複雑な思いが押し寄せた。

ライブの中のポール・マッカートニーは本当に素敵だと感じた。
冗談もたくさん交え、日本語での挨拶もたくさんしてくれ、曲が終わった後時々「All right」という様は本当にリラックスしている様子が見て取れた。
Live And Let Dieという曲では爆発や炎が多く使われ、曲が終わった後に「ちょっと見た今の?俺を殺す気か、、ほんとに、、、。もー、かんべんしてよぉ~。」という言葉にはしないがそういう表現をするパフォーマンス等、本当に楽しかった※4。
(※4:あとから知りましたがLive And Let Dieでのこのパフォーマンスは定番のようです)
Let it beやHey Jude等の神曲もなんの前触れも無くいきなりスッと始まって「い、イキナリ来るじゃないかー!」と心の中で突っ込んだりした。
生きているうちに、ビートルズのフルメンバーでないにしろ、この曲が生で聴けて本当に幸せだった。

私の周りにはビートルズファンはおろか、ポール・マッカートニーファンが誰も居ないため、1人でこのコンサートにのぞんだのだ。

それが最大の不安だった。
過去に一度たりとも1人でコンサートへ行ったことなどなかったし、ポール・マッカートニーソロツアーの予備知識は(セットリスト予想等一部を除き)一切入れずに観に行こうと決めていたので、なにか定番の「ノリ」のようなものがありそれについていけない場合どうしよう等とも考えたりした(笑)。
幸いそういったものは特にあったわけではなく、本当に曲に集中して自然体で楽しめた。
また、私の周りも、特に男性陣で年配の方が、本当にたくさん1名で訪れていた事もあり、自分1人であるという不安は待ち時間の間に吹き飛んだ。

私には人生で忘れられないライブが3つある。
1つは、2001年ナゴヤドームで行われたボンジョヴィ(BON JOVI)のライブを地元ラジオ局の知り合いに無理やり頼んでアリーナ席10列目くらいで見せていただいたこと。
もう1つはボンジョヴィ(BON JOVI)のギタリストである「リッチー・サンボラ(Riche Sambora)」のソロツアーライブ。
これは、1998年名古屋のクラブダイヤモンドホールという有名なライブハウスでスタンディングで行われた。
最後がこのポール・マッカートニーのコンサートだ。

初めてのことを最後に経験したのはいつですか?
いつだかのCMでこのようなフレーズが流れていたのを思い出した。

2015年4月25日、私は人生で初めて1人でのコンサート鑑賞を経験した。
少々大げさだが、仕事と人生に疲れ気味で心から感動することが減ってきた最近。
こんなにもウキウキして、興奮して感動し、再び自分を奮い立たせてくれたビートルズ及び、ポール・マッカートニー、そしてこの「ポール・マッカートニー アウト・ゼアー ジャパン・ツアー2015」に心から感謝を申し上げたい。

ありがとうポール・マッカートニー、そしてビートルズ!
これからもポール・マッカートニー、そしてビートルズ!


ポール・マッカートニー 2015年4月25日 東京ドーム セットリスト

01. Eight Days A Week (The Beatles)
02. Save Us
03. All My Loving (The Beatles)
04. Jet (Wings)
05. Let Me Roll It (Wings)
06. Paperback Writer (The Beatles)
07. My Valentine (Kisses on the Bottom)
08. Nineteen Hundred and Eighty-Five (Wings)
09. The Long and Winding Road (The Beatles)
10. Maybe I’m Amazed
11. I’ve Just Seen a Face (The Beatles)
12. We Can Work It Out (The Beatles)
13. Another Day
14. Hope for the Future
15. And I Love Her (The Beatles)
16. Blackbird (The Beatles)
17. Here Today
18. New
19. Queenie Eye
20. Lady Madonna (The Beatles)
21. All Together Now (The Beatles)
22. Lovely Rita (The Beatles)
23. Eleanor Rigby (The Beatles)
24. Being for the Benefit of Mr.Kite! (The Beatles)
25. Something (The Beatles)
26. Ob-La-Di, Ob-La-Da (The Beatles)
27. Band on the Run (Wings)
28. Back in the U.S.S.R. (The Beatles)
29. Let It Be (The Beatles)
30. Live and Let Die (Wings)
31. Hey Jude (The Beatles)

アンコール1
32. Day Tripper (The Beatles)
33. Hi, Hi, Hi (Wings)
34. Can’t Buy Me Love (The Beatles)

アンコール2
35. Yesterday (The Beatles)
36. Helter Skelter (The Beatles)
37. Golden Slumbers (The Beatles)
38. Carry That Weight (The Beatles)
39. The End (The Beatles)

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク